【解釈】自由と束縛、変幻自在

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  • バージル
  • ダンテ
  • DMC
  • Devil May Cry
  • デビルメイクライ
  • 世界観
  • 真魔人化
  • 魔剣
  • 名前
  • 犠牲
  • 復活

ノートの詳細

5バージルとダンテは、真魔人化に違いがある。 バージルはいつでも、好きな時に人間の姿に戻れる。 ダンテは、SSS時のクアッドループル時でしか戻れない。 かつて自分から悪魔の道を選んだバージルは、自分から人間の道へ戻れるようになった。 5で、バージルは、閻魔刀を用いて、己の中の悪魔と人間と悪夢を分離した。 反対に、ダンテは、バージルのした事(剣を己に突き刺す)を模倣し、己の中の悪魔と人間と(恐らく、描かれてはいないが、悪夢も。だって、1で兄鬼殺した後の2のダンテの寡黙さと、いくらダンテの素の性格と言っても、4の年齢不相応な異常なハイテンション空元気?を見たら、ねぇ?)を融合した。 3でダンテは、バージルに己の中の悪魔を引き摺り出され、5でバージルの道案内に導かれ、真魔人化した。 DMCダンテは、神曲ダンテと同じように、バージルによって導かれる。 神曲のバージル(ウェルギリウス)は、天国には入れない。 DMCは、天国があるかどうかも描かれていないし、今後もわからないが、DMC天国があったとしても、恐らく、DMCバージルも自力での入国は無理だろう。 (テメンニグルとクリフォト大虐殺、妻子捨ててる、息子ネロの腕もぐ、他多数罪のオンパレードなので) 5までのシリーズで、ダンテは魔剣スパーダの正統なる後継者であり、5でリベリオン(復讐)を己に融合させ、遂に己の名を冠す、魔剣ダンテを得た。 しかし、彼は守護者として、責任と制約がつきまとい、それ故か、あれほど自由が好きで、戦闘スタイルも自由奔放なのに、真魔人化では自由が利かない。 また、生活では、事務所を構え、根を下ろし、地に縛られている。(だが播種なし) 逆に、バージルは、制約だらけの戦闘スタイルで、ストイックに己を律し、己の運命の呪縛に縛られているのに、真魔人化では変幻自在な自由を手にした。 彼は世界中を放浪し、一所に縛られない、根無し草だ。(だが播種あり) バージルは、まだ自分の名を冠した魔剣を手に入れていない。 3の外伝コミックで、名を縛る、という記述や、悪魔の名は実体だ、という記述がある。 名が体を現すのだ。(詩人ダンテもそう考えていた) バージルの名は、ウェルギリウスという栄誉ある詩人から取られ、能力により輝ける者という意味を持ち、ウェルギリウスは渾名が乙女であった。 バージルは、どのようにして、己の魔剣を手に入れるのだろうか。 また、ダンテは、どのようにして、真魔人化を制御出来るようになるのだろうか。 または、2人とも、敢えてそうならないのかもしれないが。 欠損は満足を志向し、満足は欠損に惰行する。 変幻自在は、そのバランスを調整しながら、間を行ったり来たり出来る事。 スパーダ家の子孫は、エヴァから受け継いだエヴァーグリーン(空と陸と海、世界の生命の息吹、青碧色)の瞳を持つ。 バージルの魔力は青く、海や空や陸の草木など、自然や野生など人間とは違う存在を思わせる(バージルのロングコートが青く、薔薇の棘のイメージの刺繍があることや、ネロのブルーローズも、この世にはない筈の青薔薇)。 ダンテの魔力は赤く、人間だけが自然界で道具として利用する火(プロメテウス)と情熱と義憤の色だ。 彼等双子は相補関係にあり、分かれている必要があるが、完全に分かれては存在できない。 3の悲痛なアミュレットと双子の別離は、5の感動的な再会への伏線だった。 そういう解釈を私は勝手にしております。 4で世代交代の序曲、5でメタファー的には完全に世代交代をしてしまったので、6からはバージルは出番が少ないかもしれない。(5が引退の花道?) まぁ、人気によっては、別の形で出張るかもしれませんが。 バージル愛してるんで、推しがコレで店じまいしないで欲しい。 ネロはキリエと完全に清廉潔白な、完璧で正統派な結婚をし、完全に完璧で正統派な家庭を築くでしょう。 (正統派完璧すぎて一切の隙はありません。メタファー的には色々な意味で必要な正解で、ネロもキリエも大好きではあるのですが、こういうカップルに共感出来るかどうかっていうと、個人的には、?かな?) ダンテとバージルは、永遠のライバルで、永遠の独身でしょう。(トリッシュが、ダンテのベアトリーチェとしても。) だがしかし、バージルにも、ダンテのトリッシュの様な存在がいた?(ネロママ)事と、彼だけが、最も救い難い存在である事はインタレスティングでした。 5で、救い難いバージルを、これでもかと皆が救ってくれた(つまり、バージルのベアトリーチェはDMC世界全体だった)のが、感動的でした。 また、クリフォトという悪の根源を断てたのも印象的でした。 さらに、クリフォトの犠牲者の魂も、バージルに取り込まれたことで、バージルと同化し、バージルの中で生きています。(多分。明確に描かれていないので、あくまで勝手な憶測でしかありませんが、兄鬼は独りで新たな悪夢に耐えるつもりでしょう。) つまり、5では、物質的世界は最後の審判で壊滅状態になりつつも、霊的な世界では犠牲者も含め、世界が完全なる再生復活を遂げた、とも解釈できるかもしれません。 そんなのこじつけじゃないか、解釈は解釈にすぎない、という見方もあるとは思いますが、私はこの見方が個人的解釈として気に入っています。(バージル贔屓フィルター強すぎだ!大量虐殺者だそ、兄鬼は!しかも再犯だ!目を覚ませ!の声が聞こえてくるよー🐸) 停滞は死、変容は永遠。 一瞬の中に永遠を。 推しは私にとって永遠です。