【感想】散り際

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バージルは、5の前までは、正々堂々さと、散り際の潔さ、孤高な生き様がカッコいいキャラとして知られていた。 特に、3のバージルの散り際が人気のようだ。 時系列的に3の後の1で、彼はネロアンバージルとして、爆死?しているため、5で復活した際は、賛否両論だった。 3バージルや1ネロアンバージルが好きで、5バージルが好きでない方は、5が潔くなく、往生際悪く、死なずに生と力に執着し、しかも自力で出来ず、他力本願なのが、情けない、とお感じになる方もいらっしゃるようだ。 私は個人的に、5のバージルの往生際の悪さや、一見情けない他力本願さに、むしろ感動した。 若い頃は、私も己の力だけを頼りに生き、潔く散るバージルを、個人的には違和感を感じつつも、一つの生き方として、カッコイイと思っていた。 なので、武人らしい、と憧れる人の気持ちも分からないわけではない。 戦争などで、祖国のために潔く死ぬ事を良しとする風潮や、高齢者の尊厳死問題などを目にする事もある。 (難しい問題だ。何が良い、悪いなどと簡単に結論など出ない。) 自分も年齢を重ね、現実の中で、多くの人を看取った。 違和感が疑問になった。 潔く死ぬのを、格好良い、としてしまうのは、良いのだろうか? 最期まで苦しみ、もがき、諦めない事こそ、生きる事じゃないか?と。 情けない、弱い、格好悪い、苦しい、辛い、醜い、そんなの誰だって嫌なものだ。 だが、それが、生きるという事。 醜態を晒しても、たった一度の生を生き抜く事の方が、潔く死ぬよりもカッコイイ、と思うようになった。 格好悪いは格好良い。 生きる事は、醜くも美しい。 弱く、醜く、情けないからこそ、自力でなく、他力を頼り、謙虚になる。互いに赦し合い、手を取り合い、愛し合える。 5のバージルは、かつての潔さを脱皮し、死の恐怖に脅え、だが力がなく、自力で己を助けられない、情けない自分を認め、醜い自分の姿を直視する勇気を持ち、醜態を晒すのを厭わず、しぶとく、諦めず、死が迫る瀬戸際でも、恐怖に立ち竦みつつも、勇気を振り絞って、冷静に、生きる道を模索し続けた。 潔さは、諦めでもある。 しぶとさは、諦めない勇気や忍耐でもある。 物事には裏と表が分かち難く絡み合っている。 良い悪いも、簡単には言えない。 時には潔さや、逃げが必要な事もあるだろう。 思えば、バージルは、若い頃から、勇気と情熱を冷静さで包み隠す人であった。 彼の冷静さ、冷酷さは、冷たさでもって、熱さと彼の現実に生じたバランスを調整しようとするものだった。 彼は生き抜く、という目的をいつも見失わない。 だから、彼は、どんなに若気の至りで過ちを犯しても、醜態を晒しても、他人がどう評価しようとも、彼なりに誇り高く生き抜く姿を持ち続けられる。 往生際が悪くて、何が悪い。 往生際が良かったら、往生してしまうではないか。 生きるのも死ぬのも格好良くない。 格好良くないに忍耐し、もがく無様さ、全うする無様さこそ、格好良い。 この姿は、遠藤周作の描いた荒木村重に通じる。 世間的には敗者の生き様として、諦めないしぶとさ、醜態を晒し続けても生き抜く強さ、敗者は勝者というアンチテーゼを掲げている。 バージルは、敗者だ。 敗者で勝者だ。 しかも、毎回、自分から、自分を敗者と認めようとする謙虚さがある。 (表面上は、諦めない姿を出すため、認めないような描き方もするが、内心では認めている姿も描かれている。彼は複雑。一筋縄ではいかない。) バージルは、美しくも醜く、醜くも美しい。